熱戦の末のPK戦
京都サッカー担当 金城 弘敏
私は京都市にある京都学園高校出身です。
京都学園のサッカー部は非常に伝統があり、サッカー部の卒業生にはアミティエのテクニカルアドバイザーの柱谷幸一さんや元日本代表キャプテンの柱谷哲二さんをはじめ数々の有名な選手を輩出しています。
部の練習は毎日夜遅くまで行われ休みは年間で3日ほどしかありません。
当時とても辛かったことは毎日の練習の最後に必ず行われる走りこみの時間です。
中でも夏休み、冬休み、春休み中に行われる走り込みが一番辛く、まず山道を20キロ走りその後に筋力トレーニングとボールを使った練習をみっちりした後に再び山道を走ります。
おまけに、今はもうしていないと思いますが、練習中には一滴も水分補給が許されませんでした。
100名近く所属している部員全員が試合に出場することを目指し日々生き残りをかけた毎日の練習はとても厳しいものでした。
私はというと、運良く二年生の頃からレギュラーに定着し、試合に出場することができました。中でも忘れられない一戦が三年最後の「選手権」の最終戦です。
選手権は3年生最後の大会という事もあり私達は「1日でも長くこのメンバーでサッカーをしよう」と目標を掲げ一致団結し、準々決勝まで勝ち上がりました。
向かえた当日、対戦相手は毎年ベスト4には残っている強豪で、今大会でも優勝候補に上げられていました。
試合前、私は監督に相手のエースをマークするように指示され、試合開始と同時に私は相手のエースをマークし続けました。
試合展開は両チームが激しくボールを奪い合い互いに決定的チャンスを決めきれないという一進一退の攻防が続きました。
迎えた後半の立ち上がり私達の集中が一瞬緩んだ時、相手の素早いカウンターアタックから先制点を奪われてしまいました。
相手は得点を奪ってから更に勢いを増し試合のペースは完全に相手に握られてしまう最悪の展開になったのです。
そして悪い展開は続き、私は後半途中スライディングタックルをした際に両足を負傷し途中交代を余儀なくされ、そしてチームのエースストライカーまでもが負傷し試合時間も残りわずか、会場のだれもが諦めかけ監督がエースの交代を告げようとしたその時、そのエースが今までひきずっていたはずの足の痛みを振り払い、ハーフェーライン辺りから相手ディフェンダー四人を抜き去り同点ゴールを決めたのです。
この時私は試合が終っていないにも関らず涙を流しながら喜んでいたのを覚えています。
そして試合は熱戦の末にPK戦にまで縺れる事になりました。
その結果、私達は試合に敗れました。
この時チームの中で涙を流していないメンバーは誰一人いなかったです。
結局、私達の代では全国へ出場するという夢は叶いませんでした。
今でも時々寝る前になるとあの日の悔しかったことや、三年間一緒に過ごした仲間と泣いたり笑ったりしたことを思い出します。
私の青春時代はサッカーがすべてです。サッカーというスポーツに出会っていなければ今現在の私は存在していなかったでしょう。
サッカーを通じて努力する事の大切さや、辛い事を乗り切った後に待っている喜びの大きさを知ることが出来ました。
この思い出は今でも自分自身の中で大切な宝物です。
そして私は現在、幸運にも恵まれサッカーの指導者として本当にたくさんの子ども達と触れ合う機会があります。
そしてこれからもたくさんの子どもたちと出会うでしょう。
私はその中でサッカーを通じて、頑張る事の大切さや、仲間達と力を合わせる事の大切さ、そして何よりその後に待っている喜びの大きさを少しでも伝え、今度は自分だけでなく子どもたちと一緒に夢を追いかけて行きたいと考えています。