最高の恩返し
私の心に残るあの一戦は、高校に入学して初めての公式戦出場となった新人戦の準決勝です。
私は、高校3年間「野球留学」という形で、地元の大阪府を離れて、遠く離れた青森県の高校に入学しました。
初めての寮生活や先輩との厳しい上下関係を経験するということで、もちろん最初は家族に大反対されました。
しかし、最後には「やるからには途中で投げ出さずに3年間やり通しなさい」と家族は優しく送り出してくれました。
そんな、障害を乗り越えてたくさんの希望と少しの不安を抱いたまま高校生活が始まったのです。
しかし、親元を離れての高校生活は、想像していたよりもはるかに厳しいものでした。
途中で、全てを投げ出して大阪に帰るということも考えましたが、私を快く送り出してくれた家族に「恩返し」がしたいという思いでとにかくあきらめずに努力し続けました。
県外から集まった多くの有望選手の中でレギュラーを勝ち取ることは、決して簡単なことではありません。
周りの環境に臆することなく、自分のペースで地道に練習を続けているとある日チャンスが巡ってきました。
それが、高校へ入学して最初の公式戦となる「新人戦」でした。
遠く離れた家族にも早速報告をすると、大阪からはるばる青森まで母親が試合を見に来てくれることになったのです。
ただ、試合に出られる保証はどこにもありませんでした。
ある日、電話越しに「出られるかわからないから無理しなくていいよ」と伝えると母親は、一言こう言いました。
「試合に出られるから見に行くんじゃない。とにかくただ頑張っている姿が見たいから」と言ってくれたのです。
この言葉を胸に、私は初めての公式戦で控え投手としていつでも投げられる準備をしていました。
試合は順当に勝ち進み、私たちの高校は準決勝まで進みました。
しかし、準決勝まで私の登板は、一度もありませんでした。
このまま、母親に投げている姿を見せることなく終わってしまうのかと悔しい気持ちをぶつけるために、ベンチで大きな声でチームメイトを応援していると、回の途中で監督に名前を呼ばれました。
「西村4回から行くから肩を作っとくように」と声をかけてもらったのです。
準決勝という大舞台での登板ということでもちろん緊張はありました。
しかし、今までやってきた練習を信じて思い切ってキャッチャーのミットをめがけて投げ込みました。
結果は、3イニングを無失点で抑え無事に次の投手につなげることができました。
試合の方も、7対0で勝利を収めることができ、決勝でも勢いそのままに8対0の圧勝で新人戦の優勝を果たすことが出来たのです。
もちろんチームが優勝できたことが一番の喜びでしたが、何よりも嬉しかったのは母親に自分が頑張っている姿を見せることができたことです。
私はこの新人戦の一戦で、支えてくれた家族に「最高の恩返し」ができました。
今関わっている子どもたちにもどんなことも最後まであきらめなければ必ず叶うということ、そして自分を支えてくれているすべての人に感謝の気持ちを持つことの大切さを伝えていけたらと思います。